ぼくらには赤ん坊がいるので、「子育てしてるんですね」と言われることが多いが、「子育て」と言われるたびに「はあ」とよくわからない気持になる。子育て子育てと言われることが多いが、子育てなんてしてないよなあとよく思う。親がなくとも子は育つ。子供は自分で育つ力を持っていて、育てることなんてできない。といっても生まれたばかりの赤ん坊が自分でミルクを飲めるわけじゃないから、乳を飲ませてやったりとか、世話がが必要なことはたくさんあるけど、ぼくたちがしているのは、子供が自分で育って行くのを手伝っているだけだと思う。といっても、「子供は勝手に育つから」と放置・放任するのとは違って、ぼくたちが少しでもよかれと思う方向に、促してはいるけれど。スイカとかカボチャとか、つる野菜を育てるとき、そのまま放っておくとつるがぐじゃぐじゃに巻いてしまうので、からまらないように、空いている空間に導いてあげるのに似ている。
だからぼくらは子育てはしていないんだけど、日々育自はしている。
育児じゃなくて育自。赤ん坊が大きくなったとき、きちんとあいさつの出来る子になって欲しいなあと思うけど、よく考えたら、自分がろくに他人にあいさつ出来ていないじゃないか、と気づいて、急いで、道行く人とすれ違ったとき、きちんと「こんにちは」とあいさつするようにしたり、テレビを見ながら食事しないとか、パソコンを見ながら食事しないとか、無意味にコンビニに入らないとか、子は親を見て育つわけだから、子供に何か言う前に、まず自分が出来ていないと格好悪い。まずもって、家に帰って靴を揃えるところから、自分が出来てないわけで。コンビニとかファストフードとかテレビとかパソコンとかスマホとかイオンとかチェーン店とか携帯とかネットとか。子供にはあまり与えたくないよなあと思うものに、親がドップリ浸っていてはイカンと思う反面、かなり首までズブズブにはまっている自分としては、そういうトホホな状態からスタートで、しつけとか言う前に、まず自分が身を美しくしなくてはと、日々自分磨き。育自にいそしむ毎日なのであります。