2014年6月6日金曜日

生きて行くために必要なもの

生きて行くために必要なものは何だろう、とたまに考えてみる。
そしてそのためのものを書き出してみて、結局面倒くさくなってやめる、ということをくり返す。
結局、生きていくために必要なものなんてその場その場で変わるんだし、その場その場で細々としたものはどうせ必要になる。買い捨てろとは言わないが一生物なんてないんだし、完璧を期することは出来ない。その時その時で、懐事情と相談しながら、あるものと買う物でやりくりしながらやっていくしかないんだろう、と思う。

反対に、いまある手持ちのもので、たとえば火事になったとき、持って出たいものは何だろう、と考える。
そう考えると、多少の現金くらいは持ち出したいが、あとのものは別にどっちでもいいような気がする。持ち出せるに超したことはないだろうが、なくなったらなくなったでかまわず、むしろすっきりするんじゃないか、と思う。つまりぼくはこれからいくらお金を出しても手に入らないというようなものを持っておらず、たいていのものはお金を出せば手に入る、ということの裏返しなのかもしれない。いや、もちろん、いまではどれだけお金を出しても手に入らないものもないわけではない。しかしそれは「あれば便利」というだけのことで、ほかのもので用が足せない訳では無い。パソコンや携帯はいま使っているものが便利だがこれでなければならないということはない。そう思うと、いざというとき持ち出したいものは本当に貴重品ぐらいだ。そう思うと、ぼくと妻が澱のようにこの部屋に積み上げてきたものはいったい何だったんだろうなあと逆に感慨深い。買ったばかりのものは当然思い入れもあるし執着も強いが、一年も経つとその気持ちは薄れて、気に入ってはいるけれどどちらでもないものに降格する。まあ、何年たってもそれを見るだけで思わず顔がにやけるほど気に入ったものなんてないわけで、時間が経つと気持ちが落ち着くのは当たり前といえば当たり前のことだけど。逆にぼくの妻あたりにそこらへんのことを聞いてみたい気がする。その辺りの感覚は、違っているものだろうか。

ぼくは物への執着は強い方だと思うが、年をとればとるごとに、物への気持はだんだんと淡白になるものなのかもしれない。

そう思うと、生きて行くのに必要なものというのは、身も蓋もなくアウトドアに行くときの荷物なのかもしれないなあと思う。ザックに、水筒と傘を入れて、少量の仕事道具と着替え、身の回りのもの、貴重品と現金。それくらいがあれば生きて行けそうだ。そう思うとぼくの人生というのはつくづく簡単なものだなあと思う。