
うるしの飯椀。
持ったときにびっくりするほど軽いので、さすが高い器だなあと思う。うちには仁城義勝さんのうるしの器もあるが、仁城さんの器はどちらかというと木の器という趣なのに対し、こちらは清く正しい「うるし椀」という感じ。仁城さんの器は持ったときに重さを感じるから、そのあたりが違うところだ。スッとした立ち姿が美しくて、色合いも、赤と黒とあいだのような溜め塗りがきれいだなあと思う。たしか作家さんの器だったと思うが、あいにく名前は失念してしまった。
うるしの器は、使い込めば使い込むほどピカピカとガラスのような光沢が出ていい味になってくるんですよ、とお店の人に聞いた。買ってまだ一年にならないくらいなので、お店の方の話のような光沢はいまだ。これからだんだんアジが出て来るのだと楽しみにしておこう。
ひとつ買ってとても気に入ったので、あとから妻の分も買い足して二つある。色も形もまったく同じなので、どちらがどちらということもなく、混ぜて使っている。 大きさは男性物にはちょっと小さいくらいかな。女性用にしても大きい方ではない。しかし、まあその辺は、二度つげばいいだけのことなので、さして問題なし。うちは米関係にすごくお金がかかっているので(飯炊き用の土鍋、おひつ、米びつ、飯椀)やっぱり日本人なんだなあと思う。米は日本人の命です。
うるし、というと、どうも気を遣って使わないと行けないイメージがあったんだけど、お店の方によると、そんな必要はないそうだ。ぼくのなかのうるしのイメージは、ぬるま湯でそっと洗って、スポンジでごしごしなんて厳禁、洗った後は水気が一滴も残らないように、二度も三度もから拭き、 とそんな印象を持っていた。だが、そんな使い方をしないといけないうるしは、粗悪品(!)の証拠、あるいは粗悪品といって言い過ぎなら二級品の証で、なんでも昔、悪いうるしの商売人がいて、本当は二級品のうるしを高値で売りつけるために、手入れが大変=高級品というイメージを植え付けて、散散、売りまくったのだそうだ。だから、田舎に行くと、特別な日にしか使わないうるしの器一式を、高いお金をはたいてしまい込んだ家がたくさんある。そして、むかし高値で買ったから高級品だと思っていたら、実はそういうわけではなかった、とそういうからくりなのだ、というお店の方の話。って、この話、ぼく、どこかの記事で書いたっけ?
必要以上に高い金で買わせるために、うるし=手入れが大変というイメージを植え付けて、その当時は儲けたのかもしれないが、いまは逆にそのせいでうるしが衰退しているのだとしたら、損なことをしたものだ。 しかし、本物のうるしはそんなことはないわけで、ふつうの手入れで問題ない。汚しっぱなし、濡らしっぱなしはよくないにせよ、ふつうにスポンジで洗って、水気を取ればそれでOK。必要以上に神経質にならなくて大丈夫だ。
というわけでみなさん、本物のうるしの器はちょっと高いけどいいですよ。米は毎日食べるものだからもとなんてすぐ取れる。高級だからとしまい込んでおかないで、毎日いちばんよく使うものにいちばんのお金をかけることが人生を豊かにするコツだと思う。