先日久しぶりに都会に出かけた。
買い物好きの夫婦なので、ぼちぼち店などのぞいてみたが、なんとなく、あらためてぼくにはブランド物は向かないなあ、と感じた。ブランド物はブランド物でいい物なんだろうし、むかしはそういうものに一生ものみたいな憧れを抱いたこともあったが、いまはずいぶん、そこから遠いところにいる。ブランドに対する憧れがうすれてきたというか。昔は物の善し悪しよりも、ブランドで物を買っていたが、最近はそういう思いが減った。物だけを見て、少しは善し悪しが判断出来るようになったんだろうか。
以前から、ブランドブランドしたものは苦手で、ブランドのロゴが入ったものは避けていたけど、それ以上に最近は、ブランド物を身につけていると、なんとなく落ち着かない。そわそわするというか、気恥ずかしというか。たぶん、自分と物が合っていないからだろう。要するに、物が身の程に合っていない。最近は、がんばったブランドのものを持つよりも、自分に近い、共感できるような物作りをしているものを身につけている方が、しっくりと、気持が落ち着く。
こういうふうになってきたのは、近くで物作りをしている人たちを見るようになったからかもしれない。ブランドものは、いいのはいいのかもしれないが、誠実な物作りをしている人たちの、品質に対する良心的な価格を見ていると、ブランドものは「この品質でこの値段?」と感じてしまうのだ。ものはいいのかもしれないけど、この値段はないよなあというのが、ぼくの率直な感想で、まあ、ものそのものの価値に対して、イメージだとか広告だとか都会の一等地での接客だとか、そういうものを足していくと、品質の倍くらいの値段になるんだろうなあと思う。
本当に小さな規模で、それこそひとりだとかふたりだとか、一工場の単位で、手仕事に近いような物作りをしている人たちをみると、「それだけの手間ひまをかけてこれくらいの値段なのか」と思う良心的な価格なことが多くて、逆に言うと、「これだけ手間ひまをかけたものが、純粋な原価でいうとこれくらいの金額で作れてしまうのか」というのを知ると、ブランドのばか高い金額に大枚をはたくのが、馬鹿らしくなってしまうのだ。まあ、ドメスティックに比べて、インポートはどうしても高くなってしまうというのはあるけれど。いくら職人による物作りをうたっても、ブランドものはやっぱりマス・プロダクトなのだと思う。
もちろん、全身アルチザンによる手づくりの品を身につけるなんて、それはそれで出来ない(気色の悪い)ことであるが、なるべくそれに近いもの、できるだけマスとは遠いところにあるものを身につけたいなあと思う。ぼくにできるのは買い物で応援することくらいだから。
追記
要するにいろいろ書きましたが小汚い格好が落ち着くとそういうことです。