2015年7月30日木曜日

泣く力

久しぶりにまんまる育児の話など。

うちはいまだに縦抱きNGでやってきています。
ですが、縦抱きにするとピタリと泣きやんで、新生児なのに3日に1度しか便の出ないひどい便秘で、お母さんはエルゴを使っているし、どう見ても辛そうな身体なのになあと、はたから見ていると思うんだけど、ちっとも泣かない赤ちゃんもいるんですね。「どこへ行っても穏やかなお子さんですねと褒められます」と言っていたけど、ぼくから見てもそう思った。でも、直接抱っこさせてもらったわけじゃないから分からないけど、まんまる的にはこわばった感じがあって、あんまりいい身体じゃないと思ったんだけど。どっちかというと、むしろつらそうな身体というか。でも、お母さんの言うとおり、穏やかでちっとも泣かないし、ずっとにこにこしている感じなので、「おたくのお子さん、つらそうな身体してますよ」と赤の他人のぼくが言うのもおかしい気がして、何も言わずに終わってしまった。別に赤ちゃんが大泣きして困ってるわけじゃないからなあ。

でも、こんなに身体がつらそうなのに泣かないんだなあというのを見ていると、ぼくたちの赤ん坊が、あれだけ泣いて泣いて困っていたのは何だったんだろうと思ってしまう。ぼくたちも、もし赤ん坊が泣かずに、穏やかに暮らしてくれていたら、まんまるをすることはなかったよな、と思うと、なんだかそれはそれで微妙だ。でもぼくたちの子どもがいままですくすくと健康に育ってきたのは、まんまるのおかげが大きいよなあと思っているけどどうだろう。1歳と1ヶ月になったいままで、病気とは無縁でやってこれたし、人見知りしないで知らない人にもにこにこ笑いかけるし、夜泣きせずに朝まで寝てくれるし、元気すぎるくらい元気だし。からだが少しくらいつらくても、問題がほとんどない赤ちゃんもいるだろうが、ぼくらの子どもの場合は、両手の指じゃ足りないくらい、問題だらけの赤ん坊だったので、もしまんまると出会っていなかったら(あるいはまんまるがうまくいっていなかったら)どうなっていただろうとゾッとする。ぼくたちの子どもはよく泣く子で、ぼくも妻も、かなり切迫感を持って、当時はあれこれ手を尽くしたけど、赤ん坊が泣くというのは、それはそれで、訴える力なのかもしれないと思う。身体がつらくても、そのつらいことが分からない、あるいは自分を守るために分からなくしてしまった赤ちゃんも、なかにはいるみたいだから。