2015年10月24日土曜日

砂場デビューと子供の世界

このところ、子供が砂場で遊ぶようになったので、よく公園に行っています。
一人だとあんまり時間がもたないのだが、人がいると子供も気がまぎれるのか、一歳児ですが、2時間とか、長いと3時間とか、公園で過ごしています。

小さな公園ですが、わりによく整っていて、下は0歳児から上は中学生までという感じで、年齢の違う子供たちがいっしょになって遊んでいるので、近頃にはない環境だなあと興味深いものがあります。あまり車通りの多くない場所にあるので、近くの路地でも子供達が遊んでいたり、まるで昭和三十年代のような空気がある。ぼくも田舎で育ったので、同い年の子供はわんさかいて、道で遊んだり空き地で遊んだりはしたが、こんなふうに違う学年の人たちと入り乱れて遊ぶことはなかったので、子供が育つにはいい環境かもしれないなあと思う。

わりあい長い間公園にいるので、入れ代わり立ち代わり子供たちがやってくるのを見ていますが、子供達の世界にも大人と同じような社会があって興味深いものがあります。大人から見ると子供はめちゃくちゃをしているように見えるのかもしれないが、案外そうでもなく、みんな自分の能力を見極めた上で、わりに慎重に行動しているし、まあ、たまに本当にめちゃくちゃな奴もいるが、そういう奴には「要注意人物」のレッテルが貼られ、あんまりめちゃくちゃをすると制裁が下る、というのは、子供の世界も大人の世界も同じことである。

そして、好き勝手しているようで、上から下へとつながる不思議な力学がはたらいているようで、上の子はそれなりに下の子を見守っており、少しくらいの無茶は子供につきものだが、あんまりやりすぎると「自分、ほんまあかんで」と制止が入る。そして、誰かが泣き出すと、みんなの動きが一瞬とまり、「何があった?」と集まってきて、あーでもないこーでもないと言いながら問題を解決して解散する。こうして子供達を見ていると「泣く」というのは非常に大切な行動で、「ホンマにヤバい!」というSOSの発信というか、泣いていない限りは少々放置していても大丈夫だが、泣き出したら相手をしないといけないというか、泣くのは「緊急事態!」なので、こういう子供達の泣きの行動を見ていると、赤ん坊が泣いたときに放置しておいてはいけないというのが身をもって感じられる。

そして、親の側から見ていると、子供が言うことを聞かなくて困ると思うのかもしれないが、子供の側から見ていると、子供は本当に親に「絶対服従」なのだと分かる。子供は親の言ったことをちゃんと覚えているし(もちろん忘れていることもあるが)特に「何時に帰って来なさい」「どこに行ってはいけません」という制止は、本当によく覚えているし、本当によく守る。そして公園に親が迎えに来たときなんかも「まだ遊びたい」と文句は言うことはあっても、親に従わないということはあり得ないし、どんなにいけずに見える子供にとっても親は「絶対」で、子供の世界とはまた別のところに親の世界あるいは家庭があって、親からすれば言うことを聞かない子供なのかもしれないけど、こうして子供の側から見ると、どんなにやんちゃな子供であっても唯々諾々と親の言うことに従って行くのだから、親は子供にあんまり文句を言ってはいけないのかもしれないなあ。

子供の世界が大人の縮図だというのは本当で、子供は大人のことをちゃんと見ているし、大人がしている行動のとおりに行動する。だから「子供見てわがふりなおせ」というのか、子供のこういうところが気になるなと思ったらたぶんそれは親や大人の行動の問題であるのだし、本当に自分の行動こそ見直さないといけないなあと思う。




そしていろんな年代の子供がいっしょに遊んでいるといっても、やっぱり似た年の子供同士で集まってくるもので、ぼくたちが砂場で遊んでいると、やっぱり自然と同じくらいの年の子が集まってくる。 2歳児とか3歳児とか5歳児とか。それで、なんとなくうちの子供と近くで遊んでるなあと思った子供がいるんだけど、けっこう背がちっさくて、でも走ってるし、ことばもしゃべるし、なにしろ、ペダルなしの足こぎバイクで一人で(!)公園にやってくるので、てっきり2歳児なんだと思っていたら、「あの子、1歳児なんですよ」と公園ママさんが話していたので、1歳児と判明した子がいるんだけど、ウーム、1歳台で足こぎバイクに乗れるのか。うちの子供があと半年後にああなっているとはとても思えないなあ。しかもその子は単に乗れるというレベルでなく完全に「乗りこなしている」ので 「もうチャリンコ乗れるんちゃう?」と他のママさんに言われてたりして、うーん、1歳でもう自転車に乗れるのか。ミラクルな子がいるもんだ。