2015年10月29日木曜日

まんまる的心の狭さ

まんまるをやっていると、どうも心が狭くなっていかんですね。

他の人がやっていることが気になってしゃあないというか、あああ、そんなめちゃくちゃなことをやっていいのか・・・とか、人様の子供の世話に文句をつけたくなってしゃあないです。



細かいことを言い出すときりがないが、いちばん気になるのは、はいはいをする前に座っている赤ん坊が多すぎることで、まだはいはいもしてないのにええんかなあと思ってしまう。それから、まだ歩かない赤ちゃんを、無理矢理歩かせてる親が多すぎることも。まんまるというか、運動発達学的には、ぼくらの知識であっているはずなんだが。人ん家の子がどうなろうと知ったこっちゃないっちゃないんだが、それでもやっぱり、世の中まちがってんじゃねえのという気持になる。

とはいえ、いくら気になっても「おたくのお子さんの発達間違ってますよ」とよそ様の親に口出しすることはこれまでなかったんだけど、先日、つい、ギョッとするほどひどい体の赤ちゃんを見つけて、ギョッとするあまり、「おたくのお子さんは・・・」と余計なことを言ってしまって、後悔しているところなのだ。普通ならそんなこと言わないんだけど、その赤ちゃんの体が、本当にひどかったんだよね。本当に。

まず、あたまの形が、向き癖とか絶壁とかいうのも馬鹿らしくなるくらい、細く変型していて、こんなあたまの赤ちゃんがいるのかと思うくらいひどかった。それから、顔のパーツの左右差もひどくて、顔全体がゆがんでいるのが、はためにもすぐ分かるくらいひどかった。体の方のひどさは、言うのもかわいそうなので言うまい。

スプーンとフォークを使って上手に離乳食を食べていたから、たぶんうちの子よりも年上なんだと思うけど、まだ歩いていなくて、歩いてなくても、はいはいをしてるなら、そんなに心配はいらないけど、はいはいもしていなくて、その子を、親がずっと上から手をにぎらせて、歩きまわらせていた。それで、「無理に歩かせないではいはいをさせた方が・・・」とつい言っちゃったんだよね。

ぼくが余計なことを言ったので、相手はむっとして、「うちの子ははいはいが嫌いで、歩く方が好きなんです」と言ったんだけど、それはそうだろうなあ。あのつらい体じゃはいはいは出来ないと思う。背中も板のようだったし。歩くのが子供が好きなのはもちろんだけど、それは子供が砂糖やテレビやスマホが好きなのと一緒で、好きだから喜ぶからといって、それが子供にとっていいものであるとは限らない。しかし、それこそ他人のぼくらが言うようなことじゃないから、すでに余計なことを言ってしまったと後悔していたので、謝罪してそれ以上何も言わなかったけど。

あとから気づいたけど、あんな体の子供なので、もしかしたら低体重児か何かだったのかもしれない。生まれたときから苦労のある子だったというか。そうでもないと、あんなにひどい体になると思えない。たぶん、ものすごく子育てに苦労しただろうから、それこそ「余計なお世話」だっただろう。

ぼくたちはぼくたちでまんまるが赤ん坊にはよいだろうと思えばこそやってきたけど、別にそれが絶対ではまったくないし、ほかの家庭は自分達がよいと思うものをよいと信じてやっていけばいいだけの話なのだけど、というような出来事があって、どうも胸のモヤモヤがそれから取れないのである。