2014年5月11日日曜日

高峰秀子本:雑感

今更ながら高峰秀子の本を読み始めた。
妻にすすめられて読んだのだが、ぼくが長年「あの人誰だっけなあ」と思っていたのが高峰秀子だったことが判明して、「やっぱり」というか「まあそんな人たくさんはいないわな」というか、長年の疑問がようやく腑に落ちた。

ずいぶん前のことになるけれど、たしか新潮社のとんぼの本をぺらぺらめくっていたときに、
1、かつて女優をしていた人で
2、東京で骨董屋をやっていて
3、オークションで欲しいものはいかに高額でもサッと手を挙げて買い、
4、旦那から「あれは母ちゃんの道楽だから」と言われ、
5、客は逆に彼女から透徹な目で値踏みされるのである

というような記事を読んだ記憶があって、近くにその女優の献立本みたいなものもあり、まあ、最近の世の事情からいえば、軽くネットでキーワードをパチパチと打ち込めばすぐにその女優の名前もわかったのだろうが、(あるいはとんぼの本のコーナーに行って同じ本を探せば)とりたててそういうこともせず、そこからまわりまわってようやく「そうかぼくが見ていたのは高峰秀子だったのか」と知るにいたったのである。「たしか名前に杉のつく女優…」とか勝手に思っていたので、どこかで杉村春子と混同していたのかもしれないが、骨董屋、献立のキーワードと結びつくのは、高峰秀子でいいと思う。

いまにして思うとぼくが当時見たとんぼの本は(というかいまも出ているだろうけど)高峰秀子の養女という人が書いた記事だったんだろうなあ。当たり前のことであるが、本人の目から書いた記事とまわりから見た記事はかなり印象が違い、養女という人の書いたものはとかく「高峰秀子礼讃」の気があるが、やっぱりぼくは本人が書いたもののほうが好きだ。人が自分の肉親を礼讃するのは(もちろんそれに足るすごい人だったのだろうとは思うが)なんとなく読んでいて面映ゆいというか、おくゆかしくない気がするものである。

ぼくが読んだ高峰秀子さんの本は「わたしの渡世日記」と「食卓のオーケストラ」であるが、どことなく口調がべらんめえなのが面白い。自分で読んでいて思うが、林弘子さんといい、ぼくはこういう「ど根性姉ちゃん」みたいな女の人が好きなんだろうなあと思う。思い立ったらこれといってつっこむような、職人気質というか、勇ましいというか、きっぷのいい女の人が。ぼくの妻もそうなんだろうかと思うとちょっと怖い。

読んでいてはしばしから思ったが、高峰秀子という人はずいぶん賢い人だったんだろうなあと思った。はしばしに掲載された写真を見ても思うが、目力があるというが、顔を見ただけで「賢そう」という感じがする。賢いというのは、さかしらとか、勉強ができるとか、そういうのとは違う賢いである。
数々の超一流の文化人に愛されたというのもさもありなん、と思う。女優さんだから写真はたおやかな笑顔を浮かべてはいるが、目が笑っていないというか、この目でぎらりとやられたら「ぜんぶ見透かされてるんじゃないか」とだれしも思ったことだろう。


彼女にまつわる随筆や関連書籍も多いようなのでとうぶん読んでみようと思う。